大阪高等裁判所 昭和41年(う)813号 判決 1966年9月20日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一〇月に処する。
原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
<前略>
二、警察官の法令適用の誤りの主張について。
所論は被告人が昭和四〇年八月六日午後一〇時少し前頃乗用自動車を運転中原判示第一記載の交通事故を起したのに事故現場に近い大津市内の警察署(派出所又は駐在所を含む)に事故報告をせず自宅へ帰る途中同日午後一〇時一五分頃事故現場から約一四・三粁も離れた堅田警察署に至り同署の警察官に事故の報告をしたことをもつて、道路交通法七二条一項後段所定の報告をした場合に該ると解して、本件公訴事実中右規定違反の事実につき被告人に無罪の言渡をした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の適用の誤りがあるというのである。
よつて所論にかんがみ、記録を精査し、当審における証拠調の結果をも参酌して考えるに、被告人が昭和四〇年八月六日午後一〇時前頃原判示大津市長等二丁目一の二一番地先国道一六一号線で本件事故を起した後何等救護等の措置を講じないでその場を逃走し、同日午後一〇時一五分頃右現場から約一四・三粁離れた滋賀県滋賀郡堅田町所在の堅田警察署に至り同署の警察官に対し大津市内で人をはねてきた旨自首するとともに、本件事故の報告に及んだことは明らかである。
よつて右報告が果して道路交通法七二条一項後段所定の報告をした場合にあたるかどうかについて案ずるに、右にいう「直ちに」とは、同条一項前段の「直ちに」と同じくその意義は、時間的にすぐということであり「遅滞なく」又はというよりも即時性が強いものであるところ、同条一項前段の規定によれば交通事故であつた場合、事故発生に関係のある運転者等に対し直ちに車両の運転も停止し救護等の措置を講ずることを命じているのであるから、これと併せてみると同条一項後段の「直ちに」とは右にいう救護等の措置以外の行為に時間を籍してはならないという意味であつて、例えば一旦自宅へ立帰るとか、目的地で他の用務を先に済すというような時間的遷延は許されないものと解すべきである。蓋し同法が右報告義務を認めた所以は、交通事故の善後措置としては、先ず事故発生に関係のある運転者等に負傷者の救護、道路における危険防止に必要な応急措置を講ぜしめるとともに、これとは別に人身の保護と交通取締の責務を負う警察官をして負傷者の救護に万全の措置と、速やかな交通秩序の回復につき適切な措置をとらしめるためであるから、現場に警察官がいないときの報告も、時間を藉さず直ちになさねばならないからである。
また同条後段に所謂「もより」の警察署(派出所又は駐在所を含む)とは事故現場から手近かな又は最も便宜な警察署という意味であつて、必ずしも事故現場の所轄警察署に限らず、また原判決もいうように最短距離の警察署であることを要しないが、右の如く報告義務を認めた法の立法目的に照らし、事故現場の手近かな又は事故当時の交通状況下において地理的にも時間的にも最も便宜で直ちに報告をするに適した警察署であることを要すると解する。
これを本件についてみるに、被告人は本件人身事故を惹起したことを知りながら、何等救護措置を講じないで現場より逃走し自宅に向う途中、被告人の司法警察員に対する供述調書並に検察官作成の実況見分調書によると、現場より約七・七粁離れた大津市雄琴付近で、同乗していた助手席の中村敏彦が顔から血を出しているのを見てとても逃げられないと思い、今更引返すわけにもいかないといつて事故現場より約一四・三粁も離れた前記堅田警察署に自首を兼ねた本件事故報告を同日午後一〇時一五分頃行つたことが認められ(原審公判廷では自宅方向へ逃げる途中事故現場より約二・六粁離れた大津競輪場付近で警察署へ報告する気になつたといつているが、付近派出所又は駐在所へ報告していないことと、前記被告人の司法警察員に対する供述記載等に徴しこれを措信することはできない)、このように事故現場より逃走を図り自宅に帰る途中約七・七粁も離れた地点で飜意して右認定の如く事故現場より約一四・三粁も離れた堅田警察署の警察官に対し事故報告をしたのは前記規定にいう「直ちに」報告をした場合に該るものとはいえないし、また右検察官作成の実況見分調書及び検察事務官作成の大津地方検察庁次席検事宛被告人に対する業務上過失致死被告事件の事故現場より大津警察署までの距離についてと題する書面に徴すれば右事故現場から手近かな又は最も便宜な大津警察署のほか数個の同署派出所が存在することが認められるに拘らず前記の如く遠く離れた右堅田警察署の警察官に対し報告に及んだのは、右規定にいう「もより」の警察署の警察官に報告したものにあたるとは到底認められないのである。然るに、原判決は被告人が本件事故後一五分前後に右堅田警察署の警察官に報告に及んだのは「直ちに」にもあたり、且つ「もより」の警察署にあたるものと解し、本件報告義務違反の公訴事実につき無罪の言渡をしたのは法令の適用を誤つたもので、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決中無罪言渡部分は破棄を免れない。そしてこの事実と原判決認定の他の罪となるべき事実とは刑法四五条前段の併合罪の関係にあると認められ、一個の刑を科すのが相当である場合であるから原判決はその全部において破棄を免れない。所論は理由がある。よつて検察官及び弁護人のその余の控訴趣意(いずれも量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条によつて原判決全部を破棄し同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。<後略>(畠山成伸 柳田俊雄 八木直道)